2回目の流産①
初めての胎嚢と心拍を確認できて、
ワクワクとドキドキ。
でもしばらくして、また出血。
急いで病院へ。
インドネシアの病院では簡単に薬を出します。
でもこの先生は、薬を嫌う。どちらかと言えば、日本の先生の考え方に近い。
でも、一応聞いてくれる。
私は薬は出したくはないけど、薬を出すこともできる。どうする?
私は迷わず、いりませんと。
本当は、薬に頼ってでも流産を食い止めた方が良かったのかもしれない。
でも、私の中に、当時は妊娠中=薬はダメが
強くて、飲めなかった。
あとで調べたら、日本でも薬を出すことを知った。
絶対安静と言い渡され、この時は、つわりも酷くてほぼご飯が食べられなかった。
めまいも凄かったし、常に気持ち悪かった。
でも、つわりはそんなに嫌じゃなかった。
だって、まだお腹の中で赤ちゃんが頑張ってくれているんだと実感出来たから。
つわりと戦いながら、家事や洗濯掃除して、でも流石に旦那の目の前で倒れてしまって、もう何もしなくていいって。
毎日、なれない海外で仕事が大変なのに、掃除と洗濯してくれて。
ご飯は、、、作れないので、買ってきて貰って食べて。旦那のだけ( ;∀;)
あのぉ、私のもぉ、、、|ω•๑`)ㄘら
そんなこんなで、夫婦で協力して、次の検診まで過ごしました。
そして検診日
心拍なし
何度見ても、心拍は見られなかった。
2度目の流産。
さらに、胞状奇胎の可能性がある。
すぐ日本に帰りなさい。
と先生からの指示がありました。
胞状奇胎(ほうじょうきたい)
聞いたことない病名。
妊婦さんなら誰にでもなる可能性がある病気らしい。ただ、○○人に1人という確率でごく稀。
この病気になると、すぐに手術が必要になると言うことと、2年は妊活できないと言われた。
後でネットで調べたら、早い人は半年、遅い人は2年半など人によって様々。
HCGの数値が以上に高くなって、それがほぼゼロまで下がらないと妊活できないと言う。
また手術が遅れると、抗がん剤の治療もしなくてはいけなくなる可能性もあると。
すでにこの時のHCGは、15000でした。
次の日にまた旦那と来なさいと言われ、改めて2人で来院。
1回目の妊活の時もこれまでも1人だったから、初めて産婦人科に2人でくる。
でも、心拍が動いてないのを見せるのは、辛かったな、、、。
明日か明後日には、日本に帰って手術した方がいいと先生は言う。紹介状を書くから、日本の出来れば大学病院で見てもらいなさいと言われました。
日本は家を引き払ってる。
帰るとしたら、うちの実家(広島)か、旦那の、実家(福岡)。帰るのは私一人。
普通なら、広島なんだけど、うちの母は小さい頃に亡くなっているから、家には父と祖父しかいない。
それなら、旦那の実家でとなって、私一人福岡に住むことになりました。
実家には、弟夫婦が家を継いでくれています。
子供は4人。
うまく過ごせるかなと不安でいっぱいの中、
1人で飛行機で帰国しました。